歴戦の古参兵、イラクに散る

「悪者は明らかにイスラエルなのだが、いい者のパレスチナが勝つとは
思えない。戦争は、必ずしも正義の側が勝つのではない。戦争は、その
国が不正義であろうとも。強い者が勝つからだ。恐ろしいことだが、ナチ
ズムはいまも生きている。皮肉なことにシオニズムという名前で、それも
こともあろうにユダヤ国家、イスラエルに生きながらえている」

今日読み終わった本にあった一節だ。

世界は流浪の民パレスチナに押し付けた。そして、悲劇は今もなお
続いている。憎悪の連鎖の止まる日は来るのだろうか。

橋田信介という生き方』(黒田龍彦 飛鳥新社)読了。

イラクの少年を日本に連れて来ようとしていた。イラク戦争時、米軍の
砲撃が原因で少年は目を負傷していた。その目を日本で治療する為に。

それなのに…。

ニュースがもたらされたのは2004年5月。「日本人ジャーナリストふたり
が襲撃された」というものだった。まさか、それが橋田氏だとは思わな
かった。

ヴェトナム戦争を皮切りに、世界の戦場を駆け巡った日本を代表する
戦場ジャーナリストイラクで散ってしまうとは。

橋田氏の視線は常に弱者に向けられていた。戦争で一番の犠牲となる
のは、場所は変われど常に弱者だ。

そこで起こっていることを伝えたい。その一念で危険を覚悟で乗り込んで
行く。時にカラー・コピーで身分証明書を偽造し、時にムジャヒディンと
して現地へ赴く。

危険だからと行く手を阻む国連兵士に対し、「ナメルな、自分の身は自分
で守る」と言い放ち、国連発行のプレスカードをその目の前で破り捨てる。

伝えたのは戦争だけではなかった。爆破された大韓航空機の機体引き
揚げのスクープを放ち、北朝鮮の偽ドル事件も追った。

還暦を越え、それでも第一線で活躍したジャーナリストは、一発の銃弾
で倒れた。ほぼ即死状態だったという。

「もし今回の襲撃が、戦闘に巻き込まれたのあれば、彼は逃げられたと
思うんです。今回は狙い撃ちですよね。そうすると、いままでの経験を
もってしても、回避できないんですよね」

橋田氏と長年取材を共にして来たパートナーの言葉だ。歴戦の古参兵は、
もうこの世にいないのだな…。残念で堪らないし、今でも橋田氏がいない
ことが信じられない。

橋田さん、あなたのように戦場の弱者に優しい視線を向けていた山本
美香さんも逝ってしまいました。

この日本には、あなたや山本さんのようなジャーナリストがまた現れて
くれるでしょうか。