前半と後半の断絶が残念

今日も1日、イラついた。結局、責任者として着任した人間が、
今の職場の仕事を理解していないんだな。

「そうじゃないです」「違います」。今日は何度、このふたつを
口にしたことか。危うく怒鳴りそうになったので、元々の社員さん
の席に行って愚痴った。

ちょっとすっきり。

ナチスと隕石仏像 SSチベット探検隊とアーリア神話』(浜本隆志
 集英社新書)読了。

アーリア人のルーツはチベットにあるのだぁ」

アーリア人種主義を信奉したナチス親衛隊長官ヒムラーの妄想が暴走し、
1938年にチベットへ探検隊を送り込んだ。その時、探検隊が持ち帰った
とされる仏像についての論文が発表されたのが2012年。

その素材はなんとっ!1913年にロシア連邦トゥバ共和国チンガー川
流域で発見された隕石であった。

胸に「卍」を抱いた仏像は、逆回りのカギ十字を掲げるナチスにとっては
チベット・ルーツ説を裏付ける貴重な発見でもあったのだろう。探検隊が
持ち帰ったのが本当であれば。

プロパガンダに長けたナチスが、これを利用しない手はないではないか。
しかし、隕石仏像の発見を大々的に宣伝した形跡がない。

しかも、仏像を子細に眺めるとその造形に不自然な点がいくつもある。
素材が隕石であることは成分分析の結果から明らかなのだが、仏像と
なったのはかなり後の時代ではないのか。

仏像が実際に作られたのはいつなのかを考察した前半は興味深かった。
いくつもの説を上げて、それぞれの瑕疵を指摘している。だが、誰が
何を目的として隕石に仏像を彫ったのかは謎のまま。

後半はナチスがいかにしてオカルトに傾倒して行ったかの考察になって
いる。これはこれで面白くもあったのだが、前半の隕石仏像の謎解き
とばっさり分断されてしまっているのが残念。

確かにこの隕石仏像は私が見慣れている仏像とは随分とお姿が違うの
だよな。なんかヨーロッパ風味の仏像なのである。

「こんなん、出ました。やっぱりアーリア人のルーツはチベット
ありました」って思いたい人が、仏像にしちゃったのかなぁ。