ジャーナリズムは死にはしない

秋篠宮眞子内親王殿下の婚約内定者(この言葉もどうかと思うが)の
小室圭氏が、報道機関に対して母親の金銭トラブルについての文書を
公表した。

一応、全文に目を通したのだがこれまで週刊誌等で報道されていた
内容そのままなんだが。

秋篠宮殿下が求めた「それ相応の対応」ってこういうことなのか?
なんかなぁ…。

『ジャーナリズムは歴史の第一稿である。 「石橋湛山記念
 早稲田ジャーナリズム大賞」記念講座2018』(瀬川至朗:
編著 成文堂)読了。

私が勝手に名付けて敬愛している「言論四天王」のひとりが
石橋湛山である。だから、湛山の名を冠したジャーナリズム
賞が創設された時から、受賞作には注目していた。

でも、うっかりしていた。早稲田大学で学生に向けて記念講義が
開かれていたことも、その抗議がほぼ毎年書籍となって発行され
ていたことにも気づかなかった。

なので、本書を手に出来たことに大変感謝している。講師陣は
前年の受賞者やファイナリスト等、ジャーナリズムの第一銭で
活躍している人々だ。書籍でも映像でも、ノンフィクションに
関心があれば見逃すことが出来ない講座内容だ。

本書は「公文書問題を問い直す」「「真実」をいかに掘り越すか」
「日本は弱者に優しいか」「ジャーナリズムの新たな可能性」の
4章で各3人の講義をまとめ、最終章は「いま求められる「検証の
ジャーナリズム」」として、総括を行っている。

どの章も興味深く読んだが、特に印象に残ったのは第一章の「公文書
問題を問い直す」に収められた「公文書から見た戦後日米関係の一断
面」だ。

ロッキード事件を引きながら、日米双方に保管されている公文書の
相違点はもとより、公文書保存・公開に対する日本とアメリカの
大幅な違いを検証している。

捏造・改竄・破棄は日本のお役所のお家芸なのかと思うほど、ここ
数年で急激に増えている印象を受けるし、情報公開請求をしても
ほぼ全面黒塗りの文書を堂々と出して来るお役所の姿勢を見ている
と「国民、舐めてんのか」と感じる。

ロッキード事件時代は昭和の時代の事件だが、たとえどれだけ年月
が経とうともその裏側にあるものを掘り起し、報道することこそが
ジャーナリズムのあるべき姿だと思う。

そして、第三章「日本は弱者に優しいか」に収められている「過去で
はない水俣。遠くない水俣」では福島第一原子力発電所事故で東京電力
に補償を求めた人々との共通性を気付かせてくれた。

私も時々「マスゴミ」という言葉を使う。それは、権力側の情報をその
まま垂れ流し、政権PRか?との印象を受ける報道に触れた時などだ。

その一方で、優れた報道に触れた際には唸らされる。「これだ、これが
私の知りたかったことだ」と感銘を受け、送り手に盛大な拍手を送り
たくなる。

記事が、番組が、反響や共感を呼ぶには、世に送り出されるまでには
地道な調査が続けられている。

問題点を発掘し、検証し、報道する。メディアが多様化しようとも
各メディアに優れた送り手がいる限り、ジャーナリズムは死にはし
ない。