朝日新聞社はこんなところでした

雅子皇后が馬アレルギーだなんて初耳なんだが…。
皇太子妃時代、公務を欠席して乗馬してませんでしたか?
それも度々。

いつから馬アレルギーになっちゃったんだろうね。

『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞』(永栄潔
 思想社)読了。

1971年に朝日新聞に入社。地方支社、東京・大阪両本社経済部、
整理部、同社発行の週刊誌や月刊誌の編集部にも在籍した著者が、
新米記者時代から定年までを綴った回想録。

その時々の上司と衝突しながらも、社を辞することもなく朝日に
在籍し続けているのは、著者はある程度、朝日新聞社を客観的に
見ていたからなのかもしれない。

社内での軋轢や記事に対する圧力なども記されているのだが、物足り
ないと感じたのはどのエピソードも尻切れトンボになっているから
かもしれない。

「え、それでそのあとはどうなったの?」と、読みながら突っ込んで
しまった箇所が多かった。

文字通り回想録なので、社内外の人のほとんどが実名で登場し、社内
の人に関しては最終的な役職名まで記されている。そこまで必要なの
かは分からんが。

興味深かったのは赤尾敏氏とのやり取り。この大物右翼は懐が深かった
のだなと、改めて感じた。そして、もうひとつは瀬島龍三絡みのエピ
ソード。この人はやっぱりどこか不気味な雰囲気があるわ。

財界人への夜討ち朝駆けの際のエピソードも盛りだくさんだし、その時々
の朝日社内の雰囲気も伝わって来る。

ただ、私には文章自体が読み難かった。加えて、著者が自身のことを
「不肖」と書いているので、「不肖」のあとにどうしても「宮嶋」と
付けたくなってしまうのは宮嶋茂樹氏の著作の読み過ぎだな。

尚、私はソフトカバー版で読んだのだが、積んでおいたうちに文庫
版が発行されていた模様である。

 

ブンヤ暮らし三十六年: 回想の朝日新聞

ブンヤ暮らし三十六年: 回想の朝日新聞