ヒポクラテスの誓いを胸に

小泉進次郎氏が述べたセクシーは『魅力的』の意味である」

くっだらない閣議決定を出して暇があったら、台風19号
福島第一原発事故の除染廃棄物が仮置き場から流出した
ことの危険度の調査でもしなはれ。

『誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』
(ハッサン・バイエフ アスペクト)読了。

「わたしは自己の能力と判断の及ぶかぎり描写の治療に力を
尽くします。わたしの治療によっていかなる人を傷つけるこ
とも欺くこともいたしません。また求められても致死薬を与
えたり、そういう助言をしたりすることもいたしません。同
様に婦人にたいし堕胎の手段を教えることもいたしません…
…以上の誓いをわたしが全うし、これを犯すことがないなら
ば、すべての人びとから永く名声を博し、生活においても医
業においても豊かな実りが得られますように。もしわたしが
人の道を踏みはずし、この誓いを破ることがあるならば、そ
れとは逆の報いを受けますように。」

医師としての倫理の根幹をなす「ヒポクラテスの誓い」のなか
の一文である。

この「誓い」に忠実に守ったことが、彼が故郷を逃れざる得な
かった原因になった。

生まれたのはチェチェン共和国グロズヌイの郊外にあるアルハン・
カラ。シベリアのクラスノヤルスク医科大学で医学を学び、形成
外科医となった。

病院勤めの傍ら、勤務時間外には美容整形外科医として腕を振るい、
一定の評判も受けていた。

ソビエト・ロシアが行ったチェチェン人に対しての差別や迫害の
歴史は、幼い頃から父から聞いていた。自身も進学などで差別的
な発言に晒されたこともある。

それでも、充実し、幸福な日々だった。チェチェン戦争が始まる
までは。

戦争で一番の被害を受けるのは一般市民である。傷ついたチェチェン
の人々を救う為に、劣悪な環境でも治療や手術にあたり、時には
チェチェンの野戦司令官の治療に為にも呼び出される。

その一方で、何の為にこの戦争に送り込まれたのか分からないロシア
人新兵の逃走に手を貸し、戦争が激しくなればチェチェン人・ロシア
人の区別なく治療した。

それが彼の命を脅かした。医師としては当たり前のことをしただけ
なのに、チェチェン過激派からもロシア軍からも命を狙われ、亡命
を余儀なくされることとなった。

こんな馬鹿げたことが現実にあるのだ。チェチェン戦争だけではない。
病院であることを示す赤十字の旗を掲げていても、そこが攻撃される
ことがままある。著者であるハッサンもそれを経験している。

戦争は人間の尊厳を木っ端みじんに打ち砕き、人々の心に深い傷を
残す。ハッサンも心的外傷後ストレス障害に苦しんだことを、本書
のなかで正直に記している。

貴重な手記であると思う。ロシア政府に暗殺されたとされるアンナ・
ポリトコフスカヤもチェチェン戦争について書き残しており、日本
語訳も出版されているが、チェチェン側から書かれ、日本語訳が
出ている作品は本書が唯一であろう。

クリミア戦争にはフローレンス・ナイチンゲールがいた。そして、
チェチェン戦争には傷ついたすべての人を救いたいとの信念と、
ヒポクラテスの誓い」を守り抜いたハッサン・バイエフがいた。

ナイチンゲールは「近代看護教育の母」として称えられるが、
ハッサンは未だ故郷であるチェチェンへ帰国できていない。
いつか、命の危険がなくなり、彼が再び故郷の土を踏むこと
が出来る日が来るのだろうか。

尚、亡くなった米原万里はハッサンを「チェチェンのブラック・
ジャック」と呼んでいたらしい。

 

誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語

誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語