短気でやんちゃな天皇の料理番

分厚い防弾装甲で爆発物や化学兵器による攻撃にも耐えられる
特別仕様の、アメリカ大統領専用車両「ビースト」。

国賓としてイギリスを訪問したアメリカ・トランプ大統領の、
この専用車両が立ち往生をした。

原因はロンドンの首相官邸に住む内閣ネズミ捕獲長」の猫・
ラリー隊長である。

ビーストの下に潜り込んでしばらく出て来なかったとか。
トランプ大統領のお付きの人たちは焦っただろうな。

まさかニャンコで足止めを食うとはね。

『味 天皇の料理番が語る昭和』(秋山徳蔵 中公文庫)読了。

ドラマ化もされた「天皇の料理番」ご本人の筆になる自叙伝である。

子供の頃から料理人に憧れていたのはない。学校の友達がお寺の
子坊主になったを見て「自分も子坊主になりたいっ」と言って
山寺に入ったのはいいが、いたずらが過ぎて家に帰される。

今度は米相場に興味を持ち、家出をして大阪に。これも失敗。
1カ月ほどで父親に連れ戻される。

そうして、やっと実家の稼業に興味を持つ。仕出し屋である。
「手伝いなんてしおらしいことはしなかった」とはご本人の
弁。それでも魚をぶったぎったりのいたずらが楽しくて、
どんなに叱られても止めなかった。

この実家の稼業は軍隊と関りがあり、軍隊の料理担当の兵士が
聞かせてくれた西洋料理の話が著者を「天皇の料理番」へと導いて
くれることになる。

三度目の正直である。著者は西洋料理の料理人になることに憧れ、
16歳にして東京へ料理修行に出る。今と違って、言葉で教えるの
ではく出来なければゲンコツが飛んでくる修業時代。本来の短気
をぐっとこらえてやり過ごしたのだろうな。

ひと通りのことが出来るようになると「西洋料理をもっと勉強し
たい」との気持ちが強くなり、単身、シベリア鉄道経由でフランス
を目指す。それが明治42年である。

初代厨司長大正天皇即位の礼を控え、本格的なフランス料理を提供
できる料理人を探していた宮内省からお呼びがかかったのが著者26歳
の時である。

若くして宮内省大膳課の初代厨司長に就任し、大正・昭和の2代の
天皇に仕え、日常の食事から大切な儀式の料理を担当した。

昭和天皇の職に関するエピソードもいくつか記されている。今でも
皇族方は食べ物の好き嫌いを公になさらないが、昭和天皇は自分の
食事を管理する大膳にも決して食の好みを一切おっしゃらかった
そうだ。

ただ、ざる蕎麦がお好みらしくおかわりをなさることもあったとか。

ページ数は多くないが、随所に著者の料理に対するこだわりが垣間
見られる。それが時として、目上の人を乱暴な言葉で怒鳴りつける
ことになったりしている。

ただ、それさえも注意のみで済んでいるのだからおおらかな時代
だったのかもしれない。

尚、「序」としてあの吉川英治が著者の人となりに触れた名文を
寄せている。