今年最後は炎上物件

5年前の東日本大震災後の福島第一原子力発電所の事故でも
避難せず、地域の医療を担って来た福島県広野町の高野病院
敷地内で発生した火災によって、医院長が亡くなった。

晦日になってこんなニュースは切ないわ。

今年もあと少し。我が家は相変わらず白くまがテレビを占拠し、
その後ろで私がパソコン画面とテレビを交互に見ている。

1年間、いろいろなことがあった。私の中での一番のニュースは
今上陛下が生前退位のご意思を表明なさった事。有識者会議
の結論は陛下の思いとは違った方向で決まりそうだけれど。

そして、派遣先では大先輩のスタッフが年内いっぱいで退職を
した。ずっといてくれる人だと思っていたので、来月のシフト表
から名前がないのはやはり寂しいし、最後の挨拶をした時には
涙がこぼれた。

昭和の大横綱千代の富士が亡くなり、皇室最長老であった
三笠宮崇仁殿下が薨去され、永六輔が、大橋巨泉が世を去った。

リオ・オリンピックに熱狂し、政治の流れに危険なにおいを感じ、
それでも1年の締めくくりは親かに過ぎようとしている。

今年も駄文にお付き合い頂き、有難うございます。
来るべき新たな年が、皆様にとって幸多い1年になりますように♪

『だからデザイナーは炎上する』(藤本貴之 中公新書ラクレ)読了。

佐野研二郎氏デザインによる東京オリンピックパラリンピック
エンブレムがベルギー王立リエージュ劇場との類似性を指摘され
たことから、佐野氏の他のデザインの盗作疑惑までに問題が波及
したのは2015年だった。

類似性は脇に置いても、この時の審査委員の顔ぶれや応募条件、
採用時のデザインの修正等が「出来レースだったのでは?」との
疑惑さえも生んだ。

何故、五輪エンブレム問題は炎上・延焼したのかの検証から、
デザインとデザイナーはどうあるべきかを論じたのが本書だ。

編集者として仕事をする上で私もデザイナーさんたちとは切っても
切れない縁がある。一緒に仕事をしたデザイナーさんには恵まれ
た方だと思うが、稀に「この人、何を言っているんだろう」と思う人
もいたのは確かだ。

依頼主からの修正依頼に対して「いや、それは見る人が見れば分か
るデザインだから」と頑なに修正に応じない人とかね。「見る人が見れ
ば」って、見るのはデザインを勉強した人ではなくて一般消費者なの
ですけれど。その人たちが見て、何を意図したデザインなのか分から
なければどうしようもないんですけど。

デザインはアートとは違うという著者の論に、強く頷いてしまったわ。
アートは芸術だから見る側すべてが理解出来なくてもいいんだよね。
でも、デザインはそうじゃない。独りよがりのデザインになってしまった
ら、それはもうアートなのである。

だから、佐野研二郎氏デザインのエンブレムは失敗した。エンブレム
そのものの問題点だけではなく、問題が発覚した後のカタカナ語
多用した審査委員会の説明も火に牧をくべた結果になっていた。

内輪でやっているデザイン賞の選考過程を説明するならいいかも
しれないが、オリンピックは幅広い年代が楽しみにしているのだ
から誰でもが理解出来る説明じゃないと正当性を主張しても通じ
ないよね。

結局は佐野氏エンブレムは撤回され、新たなエンブレム募集が行われ
た。前回と違って指定され指定されたデザイン賞の受賞歴等は条件に
せず、広く一般からの応募を受け付けた…と思っていたのだが、これも
著者に言わせると少々違ったようだ。

横暴はインターネットのみ。「TOKYO2020」はオリジナルフォントって…。
これだけでも非常に狭い門だったんだね。

デザインとデザイナーはどこへ顔を向けているのだろうか。一般に広く
受け入れられることか。それとも、同じ業界内の権威にだけ顔を向けて
いるのだろうか。後者だと、誰からも愛されるデザインなんて生まれない
と思うんだけどね。

既に2020年東京オリンピックは新しいエンブレムが採用されている。
はっきり言って私は好きじゃない。それは1964年東京オリンピック
際のエンブレム以上にシンプルで分かりやすいデザインはないのでは
ないかと思うからだ。

それが証拠に1964年のエンブレムは記憶にあるのに、その後の札幌
冬季五輪、長野冬季五輪のエンブレムは記憶にない。長野冬季五輪
なんて、大会期間中、仕事でずっと会場周辺にいて常に目にしていた
はずなのに。

しいて言えば、招致活動の際に使用された桜をモチーフにしたエンブレム
は好きだったわ。

尚、本書では類似性のあるデザインについての分類もあって参考になる。
人間の発想なんて限界があるものね。参照したものからいかにオリジナル
に発展させるか。そこが問題なのだと思う。そのままトレースしてさも自分
が考えました!みたいに発表するのは論外だ。