受忍論という不条理を認めてはいけない

大統領への弾劾議案が可決された韓国。民主主義が機能している
のだなと思ったわ。

パンツ盗んだのがばれても、差別用語を発しても、白紙領収書を
大量に使っていても、国会議員を辞めなくていい日本のセンセイたち
はぬるま湯にどっぷりだわね。

『戦後補償裁判 民間人たちの終わらない「戦争」』(栗原俊雄 NHK
出版新書)読了。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ではないけれど、横並びなら安心
という考えは日本に根強いのだろうなと思う。何かをおかしいと感じても
「あなただけではない。みんな我慢している」と言われたら、正論のよう
に感じてしまう。

それが如実に表れているのが本書が取り上げる、戦後「未」補償問題。

GHQは軍人恩給を停止した。しかし、日本が主権を回復したと同時に
元軍人・軍属への軍人恩給が復活した。それまでは空襲などで被害を
受けた民間人同様、生活保護や障害者年金での対応だけだったのに。

元軍人・軍属は「雇用者・被雇用者」として国と特別な関係にあったから
との理由だ。ならば、「銃後を守れ」と言われた一般の人々はどうなの
だろう。

戦中、「日本人」とされた台湾や朝鮮半島から徴用され、戦後は「彼らは
日本人ではない」とされ、軍人恩給の対象から外された在日の人々も
いる。彼らはあの時代、「日本人」だったではないか。

名古屋で、大阪で、東京で。アメリカ軍の空襲により被害を受けた人々が
国に補償を求めて訴訟を繰り返している。だが、司法は同情は示すもの
の、司法としての判断を避け、立法が考えるべき問題だと言う。

あれは日本人すべてが望んだ戦争だったのか?そうではないだろう。
開戦に反対する政治家もいた。だが、国は戦争へと突っ走って行った。
それは国策に係わる人々が判断を誤ったのではなかったか。

沖縄戦を考えてみよう。沖縄本島全土が戦場になったのは、本土決戦
を回避する為ではなかっただろうか。沖縄戦では多くの民間人が命を
落とした。それでも「戦争で国民みんながひどい目に遭(あ)った。だから
みんなで我慢すべきだ」との「受忍論」がまかり通る。

勿論、補償には財源が必要だ。敗戦後、財政がひっ迫している時期なら
ば「お金ないし、我慢して」も仕方なかったかもしれない。だが、経済白書
は1956年に「もはや戦後ではない」と宣言しているではないか。

日本国政府アメリカに対しても、旧ソ連に対しても賠償の権利を放棄し
ている。ならば、戦争災害で被害を被った人々に対しての賠償責任は国
が背負うべき問題だろう。

いつだったか。国による賠償を求めて座り込みをするシベリア抑留者の
ニュースを見た。80代・90代の高齢者が、厚生労働省の前で座り込みを
続ける姿に胸が痛んだ。

彼ら・彼女らが求めているのは金銭ではない。人間としての尊厳と、国に
よる謝罪である。しかし、原爆症認定に見るように国は極力責任を回避
する方策を求める。そうして、被害を訴える人たちが亡くなるのを待って
いる。水俣病の認定も似たような感じだよね。

遠い過去の話ではないと著者は言う。この先、誤った国策で大規模な
人災や戦争が起きた時、太平洋戦争での民間被害者のように私たち
が多大なる被害を受けないとの保証はないのだ。

日本と同様、敗戦国となったドイツは民間人の戦争被害者への補償を
行っていることを本書で知った。こういう情報はもっと知られていいので
はないかと思う。ドイツに出来て、日本に出来ないはずはないのだから。

「戦争だったのだから仕方ない」。そんな不条理な受忍論で片づけて
いてはいけない。自分がその犠牲にならないとの保証はないのだから。