「皇族、辞めたい」第一号

透析患者への差別的な内容のブログで見事炎上したフリーアナウンサー
の長谷川豊氏。「レギュラー8本、なめんな」と豪語していた番組からすべて
降板した。

問題のブログ以降もグダグダと言い訳を並べていたけれど、「文句のある
奴は直接俺に文句を言え」発言で、1時間で自宅を特定される始末。

彼が書いたのは差別的な患者自己責任論。私は自己責任という言葉が
あまり好きではないけれど、こういう時こそ使おう。

「仕事を失ったのも、自宅を特定されたのも自己責任ですよ。長谷川さん」

『不思議な宮様 東久邇宮稔彦王の昭和史』(浅見雅男  文春文庫)読了。

日本の首相がコロコロと変わっていた頃、情報バラエティ番組で「戦後
の短命内閣」に必ず出て来たのか敗戦直後の東久邇宮内閣である。

日本の憲政史上唯一の皇族総理大臣であり、「一億総懺悔」を唱えた
人くらいの認識しかなかった。現在と違って戦前は宮家や皇族が多く
て覚えきれないのだもの。

最初で最後の皇族総理大臣であった東久邇稔彦王の、総理大臣辞職
までを描いたのが本書である。著者である浅見氏の作品はどれも饒舌
なのだが本書もそうだ。

稔彦王は102歳と長寿だったので、臣籍降下後までを浅見氏が描いた
のなら、とんでもないページ数になるんじゃないか。だって、本書でさえ
参考文献リストまで入れたら500ページ近いのだから。

父は久邇宮朝彦親王。宮家は長男が跡を継ぐのだが、明治天皇の皇女
の降嫁先確保の為にいくつかの宮家が創設された。朝彦親王の九男で
ありながらも稔彦王は独立した宮家を営むようになった。

それなのに「内親王との結婚は嫌」とか駄々をこねたりしているし、皇族
であるからこそ潤沢な予算を与えられているのに、事あるごとに「皇族、
辞めたい」と言い出すわでけったいなお人である。

フランスに留学させれば日本にいる時には味わえなかった自由な空気に
触れたせいか、なんのかんのと理由をつけて留学期間を伸ばそうとする。

日本政府が難色を示すと、またまた「帰国するから皇族辞めさせろ」と
脅しまくり。稔彦王帰国の説得には秩父宮殿下まで駆り出されている。
お気の毒である。秩父宮殿下が。

一言で片づけてしまえば「我がまま」。だけれど、その我がままを許さなけ
ればならなかった事情が当時の日本の皇族の在り方だったのだろうなとも
思う。

2.26事件の際、青年将校たちが秩父宮殿下を担ごうとしたように、クーデタ
ーを目論む輩が稔彦王に近づいたりして、木戸幸一西園寺公望の秘書
であった原田熊雄をハラハラさせている。稔彦王自身、先鋭化していた
時代もあって昭和天皇批判なんてしちゃってるし。

戦後もさまざまなスキャンダルに巻き込まデているのは、稔彦王自身の
性格に拠るところが大きいのじゃないかと思った。

時系列が行きつ戻りつするので読み難さはあるものの、昭和史を生きた
皇族の記録としては為になる部分が多かった。

しかし、著者自身、稔彦王があまり好きではないのかな。文章から対象へ
の愛情が感じられなかった。読んでいても確かに稔彦王みたいな人が
身内にいたら嫌だろうなとは思った。

だって、皇族だからこそ好き勝手できたはずなのに「特別扱いは嫌」で
臣籍降下を切り札にするのだもの。