死刑囚を殺しているのは私たちだ

日常の会話なら自分の言ったことの記憶が曖昧であったり、忘れて
いたりしてもいいけどさ。自身が講演で話した内容について「記憶に
ない」と言っていたのに、急に記憶が戻っちゃうんだね。丸川珠代
センセイは。

脳の機能に何か障害は出ていませんか?一度精密検査をなさった
方がよろしいのではないでしょうか。

「福島の皆さまにはうんちゃらかんちゃら」と謝っていたが、「なんの
根拠もなく決めた」と言い切った当時の環境相細野豪志にも謝った
方がいいんじゃないか?まぁ、しないだろうね。プライドだけは高そう
だけど。

しかし、誰だよ。選挙にも行ったことのないこんな人間を当選させたの。

『誰が永山則夫を殺したのか 死刑執行命令書の真実』(坂本敏夫
 幻冬舎アウトロー文庫)読了。

著者は元刑務官なので、刑務官として死刑囚や多くの服役者・被告人
と係わった経験から死刑制度を考えるのが本書だ。

小説風にして登場する人物は仮名で、幾分かの脚色はしてあるのだろう
けれど、何人かの死刑囚が刑場に消えるまでの話はまさに刑務官として
の視点だろう。

このなかでタイトルにもなっている永山則夫の執行当日の様子は実名
であることもあるのだが、あまりにも生々しい。

舎房から呼び出され、執行であることに気が付いた永山は渾身の力で
抵抗する。その永山に「制圧」という名の容赦のない暴行が加えられる。
刑場に立った永山則夫の体には暴行の痕跡が多く残り、意識のない
ままに刑が執行されたという。

執行後、永山の遺体が急ぎ火葬にされたのは制圧による暴行の痕跡
を隠すのが目的だったのか。

これが死刑執行の現実だ。死刑囚誰もが心穏やかに絞首台に登るの
ではない。永山則夫のように徹底的に抵抗する者もいれば、死刑への
恐怖に足がすくむ者もいる。

人の命を奪ったのだから、命で償うのは当たり前だとの考え方もある
だろう。だが、命の償いの為に命を奪う仕事をする人たちがいることを
忘れちゃいないだろうか。

それが刑務官だ。絞首台の3つのボタン。誰が押したのかは分からない
ようになっているとは言え、職務で日ごろから接している死刑囚の最期
に立ち会う心情は知らぬ者が想像する以上に辛いのだろうな。

刑法では死刑判決から6カ月以内に執行することと定められている。
だが、これが守られているとは言えない。何年も、何十年も拘置所
に置かれ、毎日毎日執行の呼び出しに脅える日々を過ごすのだ。

そんなある日、法務大臣が命令書にサインをする。そして死刑が執行
される。

「死刑の執行命令を他人事として議論するのはやめよう。われわれが
殺したのだから。
議院内閣制の民主主義では国民の代表である国会議員が法務大臣
になるのだからそううことになる。」

この一文に頭を殴られた気分だ。そうだ。国会議員は私たち国民の
代表だ。だから、私たちが死刑執行命令書にサインしているのと
同じなんだ。

民主党政権時代、法務大臣が死刑執行に立ち会ったことがニュース
になった。歴代法務大臣として初の立ち会いだった。死刑とはどういう
ものなのか。死刑制度を考える上でも、法務大臣や判決を出した裁判
官は執行に立ち会うべきではないのか…と考えた。

そうして、賛成派も反対派ももっとよく死刑の現実を知るべきなのだろう
と思う。命は命で償えないと私は思うのだけれど。