相手をただ、人間として見ること


「テロリストの共犯者に背後から刺された事態としか言いようがない」

怖いよ〜。普段から怖いけど、怖さ倍増のプーチン閣下である。
昨日、ロシア軍のスホーイ24がトルコに撃墜された事件を受けての
言葉だ。怒っているよね…。

ロシア・ラブロフ外相のトルコ訪問も中止になったしなぁ。

ロシアはISも空爆するけど、シリア国内の反政府勢力も空爆している
ものなぁ。親アサドだし。

あぁもうっ。益々ややこしわっ。あ、そうだ。「僕ちん、プーチンと仲良し」
アピールしていた日本国首相が間に立つってのはどうだ?トルコは親日
国家だしさ。ほらほら、活躍の時間ですよ。安倍晋三君。

『戦火のサラエボ100年史 「民族浄化」もう一つの真実』(梅原季哉
 朝日選書)読了。

宗教にも民族にもこだわらず、人々は共存していた。それが、民族の
出自を根拠に憎み合い、殺し合う事態に発展した。

サラエボ。思い出すのは冬季オリンピック。そして、平和の祭典の対極
に位置する内戦だ。

ボスニア内戦については当初、事情がよく分からなかった。気が付いたら
NATO軍によって空爆されていた。欧米寄りの視点が主体になっている
日本の報道からも「セルビア人が悪い」との印象を受けた。

だが、本当にセルビア人だけが悪いのだろうか。本書は代々サラエボ
住むセルビア人、クロアチア人、モスレム人の各民族の取材協力者を
探し出し、それぞれの家族史からセルビア内戦を描いたノンフィクションだ。

ボスニア内戦では確かにセルビア人側が多くの他民族を殺害したことに
変わりはない。だが、そこへ至るまでのユーゴスラビアの歴史の中では
第二次世界大戦時にナチス・ドイツに協力して国内少数派であるユダヤ
人の迫害に手を貸した民族もいた。

セルビア人にすべてを負わす。それはもしかしたら、第一次世界大戦
原因ともなったセルビア人青年によるオーストリア・ハンガリー帝国
皇太子夫妻暗殺事件に根があるのではないだろうか。

第二次世界大戦後、チトーが国のトップに立ち共産主義を掲げながらも
ソ連に追従することをしなかった時代が、一番平穏だったのかなぁ。

チトーの死後、権力の座についたミロシェビッチ民族意識を煽ること
が自分に有利に働くことに気付いたことがボスニアの不運だったの
かもしれない。不運なんて言葉で済ませられるはずもない、壮絶な
内戦だったが。

「昔はこの街では、誰も『お前はなに人か』なんて聞かなかったもので
すよ。大切なのか、その人がどんな人かなんだから」

サラエボに暮らすユダヤ人女性の言葉だ。そうなのだ。どんな宗教を
信じているか、どの民族の出自なのか。そんなことは二の次なのだ。
だって、ボスニア内戦で殺戮を繰り広げた3民族は元々は同じ南スラブ
人なのだから。

ただ、ローマンカトリック東方正教会イスラム。どの宗教に属している
かの違いしかないのだから。だって、チトーの元ではお互いに協力して
サラエボオリンピックを成功させているのだから。

解体されたユーゴスラビアセルビア内戦の概要を追う入門書として
はいいのだが、最終章の一部ででサラエボの歴史と日本を比べている
ところは余計だったのじゃないかと思う。

尚、セルビア内戦時はイメージの戦争でもあったのだがこのテーマに
ついては高木徹『戦争広告代理店』が秀逸な作品である。

また、セルビア軍に包囲されたスレブレニツァでの「国境なき医師団
及び医療従事者たちの奮闘を描いたシェリ・フィンク『手術の前に死んで
くれたら』もセルビア内戦関連の優れたノンフィクションである。